一人の人生を読む
44年の人生に、二つの仕事が重なる
1900年6月29日、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリはフランスのリヨンに生まれた。現在は『星の王子さま』の作者として広く知られているが、文学だけで人生を見ると大きな部分が抜け落ちる。
飛行機は趣味ではなかった。航空郵便の操縦、砂漠の中継基地の運営、南米航路の開拓、試験飛行、報道、軍事偵察まで、彼は実際の仕事として飛び続けた。その同じ時期に文章も書いている。「飛行士でもあった作家」より、飛ぶ仕事と書く仕事が分かれなかった人と考えた方が、その人生には近い。
21歳、操縦免許を取る
1912年、12歳で初めて飛行機に乗ったという出来事は有名だが、そこから一直線に飛行士になったわけではない。本格的に操縦を学んだのは兵役に入ってからで、1921年、21歳で飛行訓練を受け操縦免許を取得した。
1923年には航空事故に遭い、軍務を離れる。その後しばらくは飛行以外の仕事も経験した。将来の作家・飛行士という肩書から振り返れば回り道に見えるが、その時点で職業人生はまだ定まっていなかった。
26歳、航空郵便の仕事へ
1926年、サン=テグジュペリはLatécoère系航空会社に入り、航空郵便の仕事を始めた。当時は機体の性能も通信も気象情報も十分ではなく、墜落や不時着は珍しくない。彼はトゥールーズからカサブランカ、さらにダカールへ向かう路線で飛んだ。
翌1927年にはモロッコ南部Cap Jubyの中継基地責任者になる。仕事は操縦だけではなく、路線の安全を守り、事故や不時着した仲間を助け、現地勢力との交渉も行うことだった。砂漠の小さな拠点で、その一方で文章も書いていた。
1929年には『南方郵便機』を刊行する。飛行体験を後から「小説の材料」にしたというより、飛行の仕事を続ける生活の中から文章が生まれたと考えた方が自然である。
29歳、南米路線をつくる
1929年、サン=テグジュペリはブエノスアイレスへ渡り、Aeroposta Argentinaで路線運営と操縦の両方を担った。既存路線を維持し、人員や機材を管理し、新しい航路を探し、自ら飛ぶ。管理職と操縦士がきれいに分かれた仕事ではなかった。
1931年には『夜間飛行』を刊行し、Prix Feminaを受賞する。文学的な名声が高まる一方、一部の飛行士仲間から反発もあったとされる。危険な現場を共有する人々の世界で、その仕事を書いて有名になることには緊張もあった。飛行士としての現場と、作家としての評価は必ずしも一致しなかった。
35歳、砂漠へ墜落する
1935年、パリからサイゴンへの速度記録に挑み、リビア砂漠へ墜落した。整備士André Prévotと数日間砂漠を歩き、後に救助される。この経験は後の文章にも現れる。
ただし、実際の事故と、作品の中で再構成された出来事は同じではない。サン=テグジュペリ自身が体験を文学へ変えたからこそ、読者側が作品から本人の心理をそのまま逆算するのも危険である。1939年には『人間の土地』を刊行し、同じ年に第二次世界大戦が始まった。
39歳、軍事偵察へ
戦争が始まると、サン=テグジュペリはフランス空軍の偵察部隊に入り、ドイツ軍の進撃を観測する任務に就いた。航空郵便と軍事偵察では目的はまったく異なる。それでも、危険な空を飛び、地上の状況を見て情報を持ち帰るという仕事には連続する部分もあった。
1940年にフランスが敗北すると、その後はアメリカへ渡りニューヨークで過ごす。この時期の政治的位置は単純ではない。Vichy政権の支持者でも、ド・ゴール派に素直に加わった人物でもなく、分断されたフランスの統合を唱えながら亡命社会の政治対立の中で孤立することもあった。
ここを「正しい側に最初からいた英雄」と整理すると、本人が置かれた政治的な曖昧さが消えてしまう。
42歳、『星の王子さま』
1943年、ニューヨークで『星の王子さま』が刊行された。サン=テグジュペリ自身が挿絵も描いている。現在では世界的に知られる作品だが、この一冊だけを見ると職業人生の後半が児童文学作家だったようにも感じられる。
実際には同じ1943年、彼は北アフリカへ渡り、再び軍務へ戻った。年齢や健康状態から若い現役操縦士と同じ条件ではなかったが、それでも偵察飛行へ復帰することを望んだ。作品を書き終えた後、また空へ戻ったのである。
44歳、最後の偵察飛行
1944年7月31日、サン=テグジュペリはコルシカ島の基地からP-38 Lightningで離陸した。任務は南フランスへの連合軍上陸に備え、グルノーブルやアヌシー方面を写真偵察することだった。帰還せず、長く行方も分からなかった。
数十年後、マルセイユ沖で機体の残骸が確認されたが、なぜ墜落したのかは現在も確定していない。撃墜説や事故説はあるものの、決定的な証拠は残っていない。したがって、「敵機に撃墜され英雄的に死んだ」と物語を完成させることはできない。
分かっているのは、44歳の彼が最後まで偵察という仕事をしていたことだけである。
書くことと飛ぶこと
サン=テグジュペリの作品には飛行機、砂漠、夜、仲間、責任、孤独が何度も現れる。飛行体験が文学に影響したと言うことはできるが、それだけでは少し足りない。
航空郵便の路線を運営することも、砂漠で仲間を探すことも、南米で航路を作ることも、戦争で偵察することも、本人にとっては現実の労働だった。文章はその仕事の外にあるもう一つの才能ではなく、仕事の中で経験したことを言葉へ移し、言葉を書きながら再び仕事へ戻るという循環の一部だった。
『星の王子さま』の作者としてだけ読めば、作品を生んだ仕事の時間を失う。逆に「勇敢な飛行士」の物語にすれば、経験を言葉にして考え直した時間が消える。飛ぶ人と書く人は、別々の二人ではなく、同じ一人の中にいた。
